可能性ということ

可能性という言葉に

なぜかピンときた、きのう。

「こうあらねばならぬ」という思いにとらわれていると、

可能性の空間がなくなる。

生きている限り、

呼吸をする以外は自由。

というアート作品があった。

それってすごいな、と思う。人間の行動を制限しているのは、自律機能以外、すべて人の心だ。笑うのも、泣くのも、怒るのも、悲しむのも、もっと心の底から自由でありたいと思う。

社会の中での自分の位置とか、役割とか、世間の期待とか、単純に向き合う人を悲しませたくないとか、喜ばせたいとか。そう考える前に、「自分はどうしたい、どう考えたい?」ということが出発点であってほしい。自分で自分を束縛している状態。

TERAKOYAのノートにこんなことを書くのは不似合いかもしれないけど、

たぶんTERAKOYAは、自由な空間 をテーマにするだろう。

どう使うのも、どう活かすのも、自由。

そこで何が生まれるのかも、何を考えるのかも自由。

型にとらわれない、可能性が無限に広がる空間にしたい。

そのためには、TERAKOYAを創る人たちがまず、自由な心を持っていたい。

せめて、自由にあこがれる人でありたい。

そう思っていると、「自由な」人たちにきっと出会えるから。

TERAKOYA 自由塾。