表現ということ。

寺子屋プロジェクトは水面下(?)で一人着々と夢を広げているわけですが、

まだカタチにして示すほどの骨格ができていません。

なのでしばらくは、雑記帳的な表現の練習の場にしたいと思います。

 

表現っていいますが、

これまでメディアの仕事をしてきて、常に考えたのは

だれに、どう伝えるか

ということです。

だからターゲットの決まっていない表現行動は、

ぼやけた自己満足、と

思っていました。

でも、自由の身になってから考えてみると

果たしてそうだろうか、と思うことがあります。

表現って、伝えるためにする?

いやいや、もしかしたら、ただ自分を表現したい、でもいいのではないか。

それって芸術?

そうかもしれないけれど、

自分の中にあるエネルギーを表に出したい、

きっかけはそれでもいいのではないか、と思うようになりました。

「誰かに届くように伝える」仕事と

「自分の内部を放出する」仕事

どちらも、表現であるので。

自分は職人だから、誰かに届くように役に立つように表現をしなくてはならない、と決めていたけど、果たしてそう? 

ある部分は職人であり、ある部分は芸術家であってもいいのではないでしょうか。

そういう一人の人間の中の多様性というか、幅というか、

そういうのを認めていこうと

少しだけ思っています。

 

1カ月。

前にブログを書いてから1カ月。

何もアップできていませんでした。

仕事以外何もできなかった1カ月というのが事実。

かなりの神経とエネルギーを使って、

初めての仕事に臨みました。

疲れてしまった。

もう一つの仕事も、いろいろと難しい局面を迎え、

判断を急ぎ、行動を急ぐ段階に来ました。

これも疲れてしまった。正直いえば。

でも、どちらも信頼をいただいたうえでの

重い責任。

どちらも、専門の分野ではないのに、信頼してもらってありがたい。

そして、どんな仕事も作業も、

TERAKOYAプロジェクトにつながるのかな、と思う。

なぜなら、TERAKOYAプロジェクトに一番大切なことは、

豊かな人間関係と、深く考える力。人を緩やかに巻き込み、楽しませる力。

さて、自分にとっての本筋を忘れないようにしないとならない。

2026、その日を目指して私は歩いていることを忘れてはならない。

10月21日、

いよいよ横瀬へ行ってきます。

私のふるさとを探しに。

私が、自分らしく生きるための舞台を探しに。

これまで逃げてきたものに、きちんと向き合うために。

いろいろな課題を抱えて。

 

 

読書会

アバタローさんの主宰する読書会に参加した。

40人ほどのオリエンテーション。まったく知らない人とオンラインで話をするのはほぼ初めて。緊張した。

でも、新しい世界への扉を開いた気がした。

この読書会が、すでに多くの人たちを集めているのは、

ユーチューブチャンネルとして成功していることが最大の要因だろう。

コンテンツが素晴らしいことは当然として、

知名度があることでスタートから「質」と「量」を確保している。

目指すのはこの状態かな、と考える。

オンラインでのつながりは、

コロナ禍が終わればやがて「リアル」になっていくだろう。

動画チャンネルでの知名度→サロン開催→リアルな集まりと交流へ。

今期はブログを仕上げ、

来期から動画へ。

そして、サロン開設と、TERAKOYA開設へ。

その軸は、「本物の教養」。社会に変革を、生き方に豊かさを。

この読書会でいろいろと勉強したい。

テラ

てらこや、

という名前を考えていてふと思い出した!

「地球へ・・・」という漫画。テラへ、と読む。

調べたら、terraとは、地球、陸地、月、惑星など。

terra-coya 

大地、と読み替えたいかな。

大地に根を張った生き方。

地球の人、大地の人

って感じかな。

ヒルティの幸福論 真の教養とは。

TERAKOYAの骨格になりそうな、真の教養と、それが人の生き方に何をもたらすか。

そして世代ごとに人間らしさというものがあり、それを活かしていくことが大切という考え方。

人は衰えていくのではない。恐怖心を乗り越え、困難を直視することで、幸福になる。

 

ヒルティの「幸福論」

 

〇真の教養人の7つの特徴

1.贅沢を好まず、品があってシンプルな暮らしをしている

2.読書習慣がある

3.慎み深く、うそをつかず、自分を大きくみせない

4.人や社会のために働く気概がある

5.仕事の奴隷になっていない

6.お金を目的ではなく手段として認識している

7.誰に対しても丁寧。特に立場の弱い人に配慮する

 

※人間には自分を一番に考えるべき時期がある。その時期を通過すると、自己中心に生きることが嫌になり、利他の心が芽生えてくる。

真の教養人になるには、時間がかかるものだ。

 

・なんの波乱もない人生はない。

・人生の段階的な時期に応じて果たすべき役割が違う。

・自然な発育を妨げると欠陥が生じる。人生の時期により、大切にすべき人間の本性がある。

・子供、青年期、壮年期。それぞれ特有の人間らしさがあり、それを捨てたり、奪ったりしてはならない。したがって、老年期は衰退期ではない。さらなる飛躍に備える準備期間となるのだ。

・自然に従って生きる。 ストア哲学とも通じる。

・不幸を肯定して乗り越えていく。現実を直視する。人間が幸福を手にするためには、不幸や苦しみが必要だという考え方。不幸が導く幸福は、確かに存在している。

・人間の生活には必ず不幸が付きまとう。もし幸福になろうとするなら、不幸が必要だ。不幸の意義とは、人間を深くさせる。人間としてのスケール、独特の雰囲気。不幸を耐え、乗り越えてきた人たちだ。自分への不幸や苦痛を受け入れる覚悟を持たなくてはならない。幸福とは君の前に横たわる獅子のようなものだ。たいていの人はこれをみて引き返し、詰まらない何かで満足してしまう。人間の想像力はいつも現実以上の不幸を描く。今、君が感じている不幸はあらゆる幸福への入り口である。今こそ恐怖を捨て、勇気を持たなくてはならない。勇気こそが、最も欠かせない人間の資質だからである。

 

そしてとても分かりやすい「人生を楽に生きるための技術」

1.仕事で充実するということはとても大切なことだ。やるべき仕事があり、そこにまい進できることは人生にとってとても重要なことだ。

2.仕事を効率的にこなすことで良い習慣を身に付け、「楽」に生きる。

3.大事なのは初動。ルーティン化。とにかく動き始める。

4.そのときには自信のあることのタスク化から始める。

5.完全には仕上げるな。本当に重要なことを徹底的にするために、捨てるべきことは捨てる。

6.疲れたり飽きたりするときは、別のタスクに切り替える。休息とは休むことだけではない。動きの中で自分を休ませる。

仕事だけでは幸福になれない? そこには真の教養があるべきなのだ。