表現ということ。

寺子屋プロジェクトは水面下(?)で一人着々と夢を広げているわけですが、

まだカタチにして示すほどの骨格ができていません。

なのでしばらくは、雑記帳的な表現の練習の場にしたいと思います。

 

表現っていいますが、

これまでメディアの仕事をしてきて、常に考えたのは

だれに、どう伝えるか

ということです。

だからターゲットの決まっていない表現行動は、

ぼやけた自己満足、と

思っていました。

でも、自由の身になってから考えてみると

果たしてそうだろうか、と思うことがあります。

表現って、伝えるためにする?

いやいや、もしかしたら、ただ自分を表現したい、でもいいのではないか。

それって芸術?

そうかもしれないけれど、

自分の中にあるエネルギーを表に出したい、

きっかけはそれでもいいのではないか、と思うようになりました。

「誰かに届くように伝える」仕事と

「自分の内部を放出する」仕事

どちらも、表現であるので。

自分は職人だから、誰かに届くように役に立つように表現をしなくてはならない、と決めていたけど、果たしてそう? 

ある部分は職人であり、ある部分は芸術家であってもいいのではないでしょうか。

そういう一人の人間の中の多様性というか、幅というか、

そういうのを認めていこうと

少しだけ思っています。